ゲディミナス大公の巧妙な詭弁

リトアニアのゲディミナス大公は外交の甲斐もあってキリスト教のヨーロッパ諸国に手紙を出すことになりました。チュートン族(ゲルマン民族)騎士団との戦争をローマ教皇が仲裁することや、有能な技術者をそそのかして自身の王国へ招き入れることを期待したのです。そこには多少の嘘は必要不可欠でした。

首都ヴィリニュスにあるゲディミナス大公のモニュメント首都ヴィリニュスにあるゲディミナス大公のモニュメント

 

3世紀からエジプトのピラミッドの影で禁欲を行う苦行僧が密かに集まり、信仰深い数百人が砂漠へと身を潜め神の探究に没頭していました。これがキリスト教の修道院制度の起源です。たちまち世界各地に広まった布教の一端で、それはアフリカ、アジア、そしてヨーロッパ中へと広まりました。中でも聖大アントニオスは最も有名なキリスト教の苦行僧だと言えるでしょう。

かつてギリシャの哲学者たちがアントニオスを訪ねることがありました。教育を受けずに育ったアントニオスを前に、哲学者たちはその知性で圧倒しました。しかし、極めて単純な一言でその哲学者たちを逆にアントニオスが論破するのです。彼は哲学者たちに問いました「精神と聖書どちらが先にくるのか?」当然、哲学者たちは「精神」だと答えます。するとアントニオスはこう言い返しました「ならば常識ある人は書物など書くことなく物事ができるはずであろう」と。

 

教養の無い国家君主からの手紙

1324年秋の終わりにヴィリニュスへ向かったローマ教皇の使節団は、教養のないペイガン(キリスト教が広まる以前の自然や生き物を崇拝する信仰)のリトアニア君主であるゲディミナス大公と面会した後、ギリシャの哲学者たちと同じように恥ずかしい思いをしながらリガへの帰路についたに違いありません。

ゲディミナスが1322~1323年に書いた有名な手紙はヨーロッパ中で非常に大きな関心を集めました。多くの人がゲディミナスがついに洗礼を受けリトアニアがキリスト教国家の仲間入りをすることを期待していたのです。 

彼は手紙の中で興味深い約束事をしていました。

「我々は領土、所有物、この王国を次の者達に提供する。騎士、貴族、商人、農民、鍛冶職人、馬車ひき、靴職人、毛皮職人、粉屋、酒場、あらゆる技術者、手に職を持った全ての人々。我々はこれらの者に階級に応じた土地を提供する。農民には10年間その土地を無税で提供する。商人なら入国や出国に際しての煩わしい税金は免除とする。また識者と相談の上で可能であれば、一般市民には自国のリガ市民としての市民権を享受させよう。」

ゲディミナスは新たな農耕者たちへ納税が必要になる頃にはヨーロッパのどの国で苦労して得られる農作物より多くを収穫できるようになっていると約束しました。このゲディミナスの手紙はリトアニアとして初めての国の宣伝活動でした。 

これらの約束はとても説得力がありました。「我々の言葉は鋼のように強い」、「その鉄の意志もじきに溶けて溶鋼となり豊かな水が鋼に変え我々の言葉へと還るであろう。」

 

キリスト教を受け入れさせる意図

これらの移住者にゲディミナスが約束したもう一つのことは、キリスト教を信仰する自由でした。商人のためにヴィリニュスとナウガルドゥカスに建てられた教会にも言及していました。

これらの教会がフランシスコ修道会によって奉仕され「洗礼、説諭、その他の神聖な儀式を行う完全な自由」をもって儀式を執り行うと記されていました。この新しく素晴らしい世界への鍵は「リトアニアとルテニア(現ウクライナからベラルーシ辺りの地域)の王」の心の中に隠されている。「神と私のみがそれを知る」とゲディミナスは記していました。

彼は何度かキリスト教の受け入れに対して前向きになっていたのです。

全てのキリスト教徒へ宛てた手紙の中で彼はこう記しました。「我々は教皇宛の手紙を持たせた使節団を派遣し、我々の神父はキリスト教の受け入れを検討している。我々は教皇の出す答えを知っている。そして教皇側の使節団が来ることを毎日心待ちにしている。」

ドミニコ修道会へ宛てた手紙の中では「我々は最も偉大な父ヨハネ教皇へ宛てた手紙を持たせた使節団を派遣する。我々が最高の式服に身を包み、わが主イエス・キリストの承認を受け、彼の意志を例えそれが何であろうと満たす準備ができるよう、教皇からの使いが訪れるのを震えながら待ちわびている。」

フランシスコ修道会へは彼自身を教皇が世話をする羊のように着飾り「最も高潔で、彼の羊たちと一緒に豊かな牧草地へと我々を導いてくれるであろう父ヨハネへ宛てた手紙を送った事をお伝えしたい。」

その手紙では親密な内容だったのに対し、ゲルマン民族へ宛てた手紙では「キリスト教受け入れに関して教皇に手紙を宛てた。」といった内容でした。

洗礼を受ける儀式の実施をなるべく早く執り行いたいと心待ちにしている主旨の内容をゲディミナスが記したのは一度だけではありませんでした。

 


リトアニア大公ゲディミナス(17世紀の版画)

ヴィリニュスに入った教皇使節団

しばらくしてからヨハネ教皇はついにゲディミナスが書いた内容を確信するようになりました。教皇はベネディクト修道会の修道士、アレ・レ・バンのバルトロマイ司教、アヌシー・ベルナール教区の聖セオフリッド大修道院長を「聖書の知識に特に秀で、称賛に値する生き方とキリスト教の福音を理解し解釈する天からの聖なる授かり物を持った者たち」として教皇特使に指名しました。

それでも彼らは注意深く、1324年秋にリガに到着するとヴィリニュスに代理人を派遣し状況の確認を図りました。代理人が到着すると現地のドミニコ修道会のニコラス修道士から「王の意志は変わった。キリスト教の受け入れを行うつもりは全く無い。」という事を告げられました。

ゲディミナスの王室での面会で教皇特使たちは最も重要な話題に丁寧に取り掛かりました。しかしゲディミナスはすぐにそれを遮り自らが送った手紙に書かれている事を本当にわかっているのかを問い正しました。「キリスト教信仰の受け入れと洗礼を受ける意志」だと返答すると、ゲディミナスは自身の洗礼について書くよう頼んではいないと言い返し、フランシスコ修道会のベルトルト書記に責任があるとしました。さらに「もしそのような意志があるなら悪魔の洗礼を受け入れよう。」と続けました。

この衝撃的な展開に続いて、手紙の正確な内容を擦り合わせる議論が静かに続くことになりました。

書記のベルトルトは自身の正当性を証明するため、彼が書き記したのは王の口から出た「誠実の申し子となり、聖なる母である教会の後援とキリスト教信仰の受け入れに身を任せる。」ということだけだとしました。

それに応じてゲディミナス側の兵も「では洗礼について書くよう指示がなかった事を認めるのだな?」と問い詰めます。キリスト教徒たちは皆「誠実の申し子」になることや「聖なる母」の後援に身を任せることは洗礼について言及していることに他ならないではないのかと物議を醸しましたが、それでもリトアニア側はそのような議論の合理化には動じませんでした。

ついには、ゲディミナスが教養のある者たちに対して教皇が父であり自らがその息子であることを知らしめることで、自身が論破する機会を逃しませんでした。

教皇を父として尊敬し教皇が父であると認識していることを否定することはできない。「なぜなら教皇は私より年上であり、その他の年上の人々も両親のように思っている。同様に私より年上の大司教も私の父だと考えている。また私と同年代の者は皆私の兄弟であり、私より若い者たちは私の息子であろう。」

 

引用元:LRT "Gediminas, the ingenious ruler of pagan Lithuania"

キリスト教を受け入れた最後のヨーロッパ国としても知られるリトアニア。キリスト教以前に信仰されていたペイガン(自然や生物を信仰)は今でも自然信仰の儀式が地方で行われていたり、信仰対象の"森"や"蛇"がデザインに使われることがあります。

ゲディミナス大公はリトアニア君主として有名で、首都ヴィリニュスにはモニュメントも。観光の際は是非ご覧になってみてください。

ゲディミナス大公のもう一つの有名な伝説はコチラ→「ゲディミナスの見た夢」